本当にすばらしい記事

2015.07.14 Tuesday 23:54
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徳島新聞に若者の変化をこれからの社会の可能性として捉えたすばらしい記事がありましたので、
少々長いですが紹介したいと思います。

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 −今、若者に思うことは。

この人たちはバブルが崩壊して以降、一度も右肩上がりの社会というのを体験したことがない。
「明日は今日よりきっと良くなる」という幻想も共有していない。
かつて働くというのは、どこかで誰かの幸福につながっているという感覚があったが、
今や企業・組織維持のための経費削減に必死で、何のために働くのか分からなくなっている。
流通もシステム化し、作った物を届けるにしてもエンドユーザーの顔が見えない。

しかもベッドタウンなどにある自宅に戻っても、働いている人の姿は例外的に見られるだけで、
そこは消費しかない町。働く意味が見いだせなくなるのは当然かもしれない。

「明日は良くなる」と思えない中で若い人が地方に目を向け始めたことにリアリティーを感じる。
ポジティブな意味で暮らしのサイズを小さくするということもあるだろう。

 −東日本大震災の発生で、価値観も大きく揺さぶられた。

リーマン・ショックや震災の発生を経て、
私たちの日常生活がいかに制御不可能なものに依存してきたかを痛感した。
その一つが原子力発電。あらゆるものを電気に頼っているが、
事故が起こって初めて実はコントロール不能で大変なリスクがあったことに気づかされた。

もう一つがグローバル経済。ずっぽりと組み込まれて、いわゆる国民経済が成り立たなくなっている。
経済というのは「経世済民」を略した言葉で、世を治めて民の苦しみを救うという意味だ。
ところが、企業は株主利益を最優先にしたグローバルな市場でし烈な競争を強いられ、
最大の関心は自社防衛、生き残りになった。

そこでエネルギーにしても経済にしても、若い人たちがある程度調整したり、
抑制したりできるサイズに戻そうというのは半ば強制されたものかもしれないが、自然なことだ。

 −若者に起きている変化とは。

 徳島を目指す若者が増えているように、都会では逆に都心近くにある団地に引っ越す若い人たちが出始めている。
いわば通勤サイズを縮めて職住を接近させ、制御可能なものに見直す動きだ。
わが子が熱を出してもすぐに帰ることができる。
停電になっても徒歩で帰ることができる距離に暮らすことが普通ではないか。
若い人たちに新しいサイズ感が生まれつつあることに希望を抱く。

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 「足るを知る」に近い世代
  仙台市に開発から取り残されたような町筋がある。
その一角に「アンリアレイジ」という小さなショップがある。
昔の美容室の外観を残したままで内装をリフォームした程度。
そのブランドはファッションに明るい若い人によく知られていて、わざわざここに店を設けた。
遊びも多いけれど色柄は概して地味で肌触りは繊細。流行でなくコミュニケーションを大事にし、
販売の人と客が長い時間おしゃべりをしている。
そんな光景を見ながら、流行や過剰な消費社会に迎合することなく、
新たなサイズ感を求めて服作りをしていることに気づいた。

 若い人たちこそ今、「足るを知る」という言葉にどの世代よりも近くにいるのではないか。

 −若者の意識が変化してきた、と。

リアリティーの差だろうが、右肩上がりが染みついた人たちは、次の世代が何とかするだろうと思い込んでいる。
だから国の借金が膨らみ続けても異様だと思わない。
公共事業にしても、一見いいように思うけれど、実は将来世代の需要を先食いしている。

 江戸時代のように低収入の定常社会に生まれ育った人たちは
災害や戦争が起これば食べていけないことを知っていた。
だからこそ、後々の世代が飢えないように備えていた。

 京都の商家では代々、「もうけられる時にもうけすぎたらあきまへんえ」と言われてきた。
もうければ商売の手を広げすぎて将来世代に過重な負担を強いることになると考え、戒めていたからだ。

そんな日本人の操のようなものを、このデザイナーや徳島に移住した若い人たちに感じる。
世の中もまっとうになっていくのではないかとも期待する。

 高度消費社会は、なくていいけどあってもいいもの、端的になくていいものも混在しているが、
一番大事なことは「価値の遠近法」を身に付けることだ。

 絶対になければならないものと、あったらいいけどなくてもいいもの、端的になくていいもの、
あってはならないものといった四つを即座に見分ける力だが、今の政治にも経済にもそれが働かなくなっている。

 右肩下がりの時代だからこそ、価値の遠近を働かせる必要がある。

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 解決の糸口 自ら紡ぐ
 生きることは命をつなぐことで、大事なのは、それを互いにケアしあうこと。
かつて出産は近所の助産師さんが担い、家族が手伝った。大病でなければそれなりに応急処置もできた。
私もしていたが、子どもは防火用水の入れ替えや火の用心を唱えて地域を回った。
もめ事があれば地域の顔役のような人が収め、看取りも近所の人が協力して葬儀を取り仕切った。

ところが、「生老病死」はもとより、教育や子育て、防災、排泄物の処理…と、
地域社会で担ってきた役割は国家資格を持った専門家や行政に「お任せ」するようになった。
その結果、わが国は最長寿国となったが、地域社会は命の世話をしあう力を失った。
市民は自ら代替できないこれらのサービスに対して、それが劣化すればクレームをつけるだけになってしまった。

 「お任せ」と「押しつけ」が合わせ鏡のように社会を覆い、提供されたサービスにぶら下がる一方、
責任を放棄する構造が増幅している。
そんな中、東日本大震災を経て、多くの人が他人に任せすぎたことに気づいたのではないか。

 −どんな地域社会を築いていくか。

 若い人たちが地域社会に溶け込むには、見て見ぬふりをするのではなく、
見ないふりをしてちゃんと見ているような地域のまなざしが必要。
あっさりした付き合いの中に、若い人たちは安心感を見いだしていく。

 子どもから高齢者まで、全世代型の形にしていかないと地域は成り立たなくなる。
徳島を目指す人たちのように、若者が地域に入って周囲の人と相互扶助しつつ、
暮らす。そうなれば地域で世代交代が起こり、生産や伝統行事が途絶えることはない。

そこで生じているさまざまな問題の解決の糸口を自らが紡いでゆく。
外から若い人が入り、地域の人と相談して意思決定していく。
「お任せ」や「押しつけ」と逆のベクトルで公共的な活動の回路をつくっていく。
活動のコンテクスト(文脈、前後関係)を自分たちで編めるということは市民力を喚起することにもなる

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本当にすばらしい記事ですね♪ なんと的確に表現しているんだろうと感動いたしました。
ボタン一つで済んでしまうこの社会の流れを食い止めることは無理でしょうが、この記事のように
一人一人がこの間違った社会構造を知り、何をすべきかを考え、行動にでることが大切だと思いました

若者よ!地味だが江戸時代の生活にはこれからの新しい社会で楽しく過ごすアイデアがたくさんあるから
色々読みなされよ。ちなみにこの江戸時代のこと、特にすばらしい仕組みのいろはを教えることは
私たちの時代1960年台ではタブーで、あまり学校で教えてくれなかったんだよ。
なんでも電気電気ガスガス電気電気ガソリンガソリンでね、手動、手回し、ローテクの良さは失われてね
私の同時代の友達は感心がない人がほんと多いんです。この私でさえ10年ぐらい前まではボタン一つで
全自動、 便利だねなんて痛っていた・・・
長い間の洗脳期間が長いぶん、この時代の人たちは覚醒するのもたいへんなんだ。でも今の若者は
その点テレビも見ないし、真実の真相もネットで出会えるから期待もしております。
がんばれ〜若者よ

手動で道場の館長 佐野がお送りいたしました。では
 


                    〜でんきないとカフェ〜












 

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